塾業界 やりがい搾取の構造
令和の時代になっても、労働者を精神疾患や過労死に追い込む長時間労働やサービス残業はほとんど減っていません。もちろん学習塾業界にも昔から長時間労働やサービス残業の問題があります。
5年ほど前ですが、首都圏の複数の大手学習塾で、長時間労働による過労死や50日におよぶ長期連続勤務による精神疾患の労災認定が全国に報道されていました。覚えている人もいると思います。
学習塾ではどうして長時間労働や長期連続勤務が減らないのか? そこで働く人がなぜ精神疾患や過労死するほど働いてしまうのか? その背景となる要因を説明します。
この要因は学習塾業界に昔からある構造的な問題でもあります。業界の裏事情も含めて書いていくので、学習塾で働く人はもちろん塾業界の労働実態をよく知らない人もぜひお読み下さい。
塾講師の仕事は受験指導だけではない
学習塾の正社員の出勤時間は午後から(13時~14時頃)だし、授業は夕方から夜(17時~21時頃)にかけてなので、他のサービス業界(飲食・宿泊・介護・運送業など)と比べて長時間労働は少ないのではと考える人もいると思います。
でも学習塾で働く人は単に授業だけをやっているのではありません。授業の準備はもちろんですが、それ以外にも様々な業務があります。
生徒への補習・質問対応・保護者対応・午前中や終業後の各種会議・授業研修・講習用テキストの作成・模擬試験の作成・生徒募集用の各種チラシの作成・校舎の美化や清掃。日曜日の保護者懇談会や入塾説明会・進学情報や進路選択についての各種イベントなど。
それこそ平日・休日を問わず授業以外にもやるべき業務が膨大にあり、午前中の出勤や帰りが終電になることもあります。塾によっては早朝の校門前配布や終業後の深夜にポスティングを行わせる会社もあります。
学習塾で働く人は総合職なので、教師でも教えること以外にあらゆる業務をこなす事が求められます。特に教室長ともなると、校舎運営の責任者として教室管理や生徒管理、アルバイトの管理はもちろん、校舎の生徒数や売上アップに対する責任も負っています。必達目標としての売上ノルマもあります。
塾業界 「生徒第一」の労働観の問題
学習塾業界には昔から『生徒のために』という言葉があります。学習塾の存在意義は何か? それは生徒を志望校や、より上位の学校に合格させることです。この目的を達成するため学習塾で働く者は努力を惜しまず生徒の成績向上ために全力で取り組むべきであるという理念を表す言葉です。
そしてこの理念は塾や予備校で働くすべての人の職業倫理や行動原理に大きな影響を持ちます。塾業界で働くすべての人が共有する労働観といっても過言ではありません。
学習塾で働く人は、学生バイト講師でも正社員でも、みな生徒思いで責任感が強く、生徒の成績を上げ志望校に合格させることに対して強い使命感を持っている人が多いです。性格はどちらかというとおせっかい焼きで、ボランティア精神に満ちた人もいます。
自分の仕事に対して責任感や使命感を持つことはどんな職業にも当てはまるかもしれませんが、学習塾で働く人や学習塾で働きたいと応募してくる就活生には顕著に見られる特徴です。
『生徒のために』という言葉には、正社員・学生バイトを問わず、学習塾で働く人にとって自分の使命感ややりがいを鼓舞し、それこそ自己犠牲の精神で仕事に没頭させてしまう魔法のような働きがあります。
この言葉を使われると多少の無理をしても、生徒への責任感や使命感から率先して働いてしまう(たとえ賃金や手当が出なくても)人は多いと思います。この理念を否定するつもりはありませんが・・
しかし近年、この理念が塾業界で、長時間労働やサービス残業に対する経営者の言い訳として使われ、社員を長時間無給で働かせたり、職場の労働環境への不満を封じ込めるための理由として使われることに強い危惧を感じます。この言葉には本来そのような意味や役割はないはずです。
塾業界 やりがい搾取の構造
この『生徒のために』という理念が学習塾の職場内で自己目的化されると、どうなるでしょうか。会社(経営者)は『生徒のため』という大義名分をふりかざし、社員がやるべき業務をどんどん増やしていきます。
もし社員の誰かがそれに異議を唱えれば、その人は生徒のことをまったく考えようとしない、塾業界には不適格な人間だとみなされるので結局、盲目的に従わざるを得なくなります。
昔から塾業界には正規の勤務時間外の『生徒のため』にする業務は講師の自主的な活動だとする不文律があります。したがって業務量がどんどん増え、長時間の時間外労働や連続勤務が発生したとしても、それらはあくまで講師が自発的に(自分の意思で)やっているとみなされます。
こうした暗黙のルールの下では、当然残業代等は支払われません。もし精神疾患や過労死が発生しても講師個人の『自己責任』で片づけられてしまう危険性が高くなります。
こうした背景には公立学校教員の『給特法』の影響が強いと考えられます。この意味では、学習塾での長時間労働やサービス残業の背景は公立学校教員と類似する部分がかなり多いと思います。
この『生徒のために』という理念は社員の不満を封じ込める論理にも使われます。勤務する学習塾の過酷な労働環境について「法律違反では?」と思ったり、「改善してほしい」と訴えると「生徒のことを考えないのか!」「生徒への熱意が足りない!」「時間分だけ働けばいいなら塾業界には向かない!」と叱責されるのがオチです。
言われた方は講師失格のレッテルを貼られたも同然で、それ以上職場の労働環境への不満を言えなくなります。こうなるとわかっていて職場の労働環境の改善に躊躇してしまう人や、労働条件への不平・不満を口に出せず我慢してしまう人も実際にはかなり多いはずです。その結果、職場の労働環境は際限なく悪くなっていきます。
つまり塾業界には、生徒のためであれば、長時間労働や連続勤務をいとわず、たとえ賃金が出なくても残業や休日労働をこなし、生徒のためなら自分を犠牲にして全力で仕事に取り組むことが求められ、また勤務する職場の労働条件や環境に問題があっても疑問や異議を持つことは生徒のためにならないと考え、ひたすら我慢することを求められる構造があります。
こんな状況が続くかぎり、塾業界は「ブラック業界」と言われても仕方ないでしょう。一方で塾業界は、この『生徒のために』という魔法の言葉を、働く人に対しアメとムチのように上手に使い分けて業績を拡大してきたこともまぎれもない事実なのです。
学習塾の職場には、つねに生徒へのサービスを最優先に考えるのであれば、そこで働く人は長時間労働やサービス残業を行うのは当然であり、それに異議や疑問を唱えてはいけない。そのような人は生徒のことを考えない人であり、塾業界で働くべきではないという労働観が存在します。
この労働観が自己目的化し肥大化したことが、学習塾の職場内での連続勤務を含む長時間労働やサービス残業を正当化させ、学習塾での長時間労働が蔓延する要因の一つだと考えます。
塾・予備校だけでなく学校教員や保育園でも人材不足が顕著です。人材が集まらないのは、個人の使命感・やりがいに依存する教育業界の悪しき労働観にあります。ここを変えないかぎり、日本の教育業界は衰退の一途をたどるのではないでしょうか。個人の「やりがい」ではなく「働きがい」を重視する方向に転換すべきだと思います。